映画評 手紙は憶えている(原題Remember)
今日は少しお疲れ気味でしたので、半日オフにしました。
以前、ナイブズ・アウトをいう映画を観たとこのブログに書きました。 tanaka-sr.hatenablog.jp
その作中殺人事件?の被害者である大資産家の作家ハーラン・スロンビー役を演じたクリストファー・プラマー主演でお薦めの映画があると言われていたのが「手紙は憶えている(原題:REMEMBER)」
ずっと気にかかっていたので観てみました。
ここから先、作品評は相変わらず長いので、興味のない方には申し訳ありません。
日本では2016年10月にTOHO系で全国ロードショー公開されていて、監督はアトム・エゴヤン。
ラスト5分に大どんでん返しがあるのでネタバレは避けますが、そこも含めて興味深い、考えさせられることの多い、面白い作品でした。
もともと薦められていた作品ですが、僕も一度は観ることをお薦めします。
★★★★☆/4.0
作品全体はナチスによるホロコーストと、アウシュヴィッツ収容所の生還者による復讐劇を軸に進行していきます。
クリストファー・プラマー演じる主人公のゼヴは認知症を患い、記憶の混濁がしばしば生じる状態であることが作品の大きなカギとなっています。
ゼヴは寝て起きたときに記憶の退行が生じるため、奥さんが1週間前に亡くなったことも忘れてしまい目が覚めるたびに「ルース、ルース」と妻の名前を呼ぶような状態で施設に入所しています。
そのような状態のゼフに対して同じ施設の入所者であるマーティン・ランドー演じるマックスから、自分たちはアウシュヴィッツの生還者であり、自分たちの家族を殺した収容所ブロック長であるオットー・ヴァリッシュがまんまと逃げ伸びてアメリカに渡り、ジョン・コランダーという偽名で生きていること、そして自分たちが自ら罪を罰しなければならないと告げられるのです。
でも、認知症であるゼヴは忘れてしまうので、マックスは行動を綿密に書いた手紙を渡たし、必ず手紙のとおりに行動して4人のオットー候補の中から本人を見つけ出し、その手で殺害することをゼヴに言い聞かせます。
これが物語のプロローグ。
ゼヴ自身も90歳なのでその旅はおぼつかず、見ている方はハラハラします。
この作品の白眉は「記憶」というものの危うさを丁寧に扱っているところです。
ネタバレ(2016年公開で今更?)は避けるため詳しく書くことは避けますが、ゼヴが列車内でうたたねから目覚めたり、ホテルで朝を迎えるたびに自分が何のためにどこにいるのかを忘れてしまい、マックスからの手紙を繰り返し読んだり、マックスに電話をかけたりして刷り込みを重ねながらオットー探しの旅を続けるところが、最後まで見終わった後に振り返ると実に恐ろしく、寒気がします。
自分たちが正しいと思っていることが果たして本当に正しいのか、自分は自分と認識しているがそれは本当に真実であるのか。
すべて周りの人間も含めた記憶がその判断ベースになっており、そこに虚偽があったり、他人による干渉で書き換えられた場合に人はどうなるのか。
アイデンティティの崩壊に繋がる重大な錯誤。
どんでん返しはあるのですが、見終わった後にカタルシスを感じるというよりは「うーむ」と重く考えさせられる思いが強く、自分好みの映画でした。
サスペンス劇として良くできており、クリストファー・プラマーやマーティン・ランドーをはじめとする役者陣の演技が素晴らしく、95分という上映時間も含めて良作です。
ナチを描いた作品は数多く発表されており、いわゆる戦勝国の制作した作品では徹底した悪として描かれています。
一方、この作品はカナダ・ドイツ合作で微妙なバランスでとらえられています。
ドイツって、戦争犯罪のほとんどすべてをアドルフ・ヒトラーとナチスに押し付けてしまうことに成功して、悪いのはドイツではなくてヒトラー達なんですということにしているんですよね。その意味ではドイツ自らが積極的にヒトラーとナチスを悪に仕立て上げたといっても良いでしょう。
その点、同じ敗戦国である日本は天皇の戦争責任とか国体とかという触れられたくないセンシティヴな問題があるから未だに総括できていないところに大きな違いがあります。
戦争自体が絶対悪なので、欧米ロシア中国も戦時中は同じようなことをやっているのだけれど、敗戦国はそれを糾弾され、戦勝国は問わないのです。
歴史は勝利した者が正史となるものなので、それはそういうものなのです。
そういった思いがドイツにはあるからなのか、ドイツ映画で描くナチスには”ナチスだけを悪としてしまっていいのか”的な描き方をするのかもしれません。
原題である”Remember”にはいろいろな意味が込められていて、良いタイトルだと思います。邦題の”手紙は憶えている”としてしまうと、限定されすぎてしまってちょっとそのあたりが面白みに欠けてしまう気がします。
物語の設えとして次に何をやらなければならないのかを「思い出せ(忘れてはならない)」なのだし、一方でホロコーストでなにがあったのかを「思い出せ(忘れてならない)」ことも、そして一番大事な自分自身は何者であるのかを「思い出せ(忘れてならない)」とも語りかけているように思います。
そうやって見ると、いろいろなところに仕掛けがしてあって、二人目のオットー候補のところに行った時のゼヴの涙はなんだったのかとか、3人目のときに何故飾ってある旗を見ただけで「クリスタル・ナハト(水晶の夜)」言ったのか、4人目の家にあるピアノで得意といっていたメンデルスゾーンではなくてワグナーを引いたのはそういうことだったのか、など「ゼヴの記憶が戻っているのかそうでないのか」が分からなくなるような演出がよくできています。
クリストファー・プラマー サウンド・オブ・ミュージックでトラップ大差を演じたときは36才だったそうです。
カッコいいですね。
何とも言えない色気があります。
そして今も良い歳のとり方をしていると思います。
是非見習いたいものです。