理解されるということ
この仕事をしていると、とてもたくさんの人と会います。
顧問先の経営者の方、従業員の方、そのご家族。
税理士の先生、司法書士、弁護士の先生。
年金相談会に来られた方、セミナー・講演会に参加していただいた方。
社会保険労務士の同業者、同じ支部の人、県内他支部の人、他都道府県会の人。
僕は、この道に入ってよかったと思っています。
人の話を聞くのが好きです。
人に話をするのも好きです。
今日もこうして事務所で一人PCに向かっています。
これまでのところ、まだ1日も休めていませんが、特に不満はありません。
自己分析をしてみれば、「誰かに何かを求められて、それに応えること」が喜びで、優先順位の基準がそこからきているからのようです。
請われれば受ける。
受けたことはやり遂げる。
そのために手段は選ばない。
そのために自分の時間が無くなっても特に不満は感じないし、違和感もない。
相手が喜んでくれるのが無上の喜び。
常に、相手を理解しようと努めています。
共感と理解を分けて考えられるようにできているらしく、よっぽどのことがない限り、相手の立場や考え方、思想、嗜好その他を理解します。
そして、「僕はいつでもあなたを理解していますよ」と必死に伝えようとしますが、こちらは不得意なようで上手くいかず、自分だけ勝手に傷ついていることもあります。
支えようと思って一人でバタバタして、でも相手にはそんな努力は伝わってなくて、いつの間にか解決していたなんてことはたくさんあって、勝手に落ち込んだりもします。
でも、これからも、相手を理解しようとし続けます。
自分が理解されているというのは、とても心地よいことだと思うのです。
だから、我慢せず、ため込まず、話してほしいです。
大体のことは受け止められます。
そして、なんでも話してもらえる、そんな信用ある人間になるために、これからも研鑽を重ねようと思います。