ナンバープレートにアルファベット
先日車で顧問先事業場へ行く途中、日高市内でナンバープレートの分類番号に”M”を刻まれた車を見ました。
県外ナンバー(多摩)でしたが、初めて見たので思わずパチリ。
(赤信号で停車中に撮影3秒の早業です。)
330mm×165mmというサイズの日本のナンバープレートには、上段に「地域名」と「3桁の分類番号」が、下段に「ひらがな1文字」と「4桁の一連指定番号」が並んでいます。
アルファベット入りのナンバーが導入された理由は、「希望ナンバー制」で人気が集中している一部の番号を使い果たしたからだそうです。
希望ナンバー制は、手数料を支払えば4桁の一連指定番号を好きな数字にできる制度で、「1」とか「8」とか「88-88」などが人気と聞きます。
一度使ったクルマのナンバープレートは、車両の特定にナンバープレートを使うなどの理由から再度使われることはありません。そのため人気の数字が払底してしまう問題は以前から指摘されていました。
2018年1月から分類番号へアルファベットが導入され、今後も利用者に希望のナンバーを提供できるようになりました。
使用されるアルファベットは、A、C、F、H、K、L、M、P、X、Yの10文字です。国土交通省によると、希望ナンバーの払底回避のため、これまでいろいろな案が検討されてきたようです。「ナンバープレートのひらがな部分をカタカナやアルファベットに変更する」「4桁の一連番号を5桁にする」などの案もありましたが、比較的容易に実施できる分類番号の変更が採用されました。
これまでも、分類番号については「1桁(1950年代以降)」→「2桁(1967年以降)」→「3桁(1997年以降)」に変更されてきた歴史もあります。
分類番号の先頭の数字はクルマの用途や大きさが分かるため、そのまま残されました。
国道16号線を走っていると、福生あたりで用途のところが「Y」の車を見かけますね。
そのうち完全自動運転や空飛ぶ車が一般的に普及してくると、モータリゼーションも様変わりするのだろうなと思います。
いがに近い未来にやってきそうです。
空飛ぶ車同士の交通事故はすごく怖いですね。
筋肉痛(主に上腕三頭筋)
毎日眠いのであります。
まあ、このところ寝るのが4時過ぎなので当たり前といえば当たり前ですが。
寝不足だと集中力は低下するし、結果生産性は落ちるし、良くないことは分かっているのだけれど、〆切があるものに間に合わせようとすればそうなります。
いろいろと心配してくださる方も多く、この間は「黒にんにくゼリー」を勧められて、2箱購入。毎日食べてます。
黒糖味で臭いも無く、美味しく服用しています。
それでも眠い。
コーヒーをがぶ飲みしても眠い。
いよいよになると職員からは見えないところへ行って腕立て伏せをしています。
お陰で今日は筋肉痛。
まあ、ドライバーの飛距離も伸びて良いかもしれない、なんてうそぶきながら、今日も頑張ります。
毎日暑いですね
長梅雨が明けたと思ったら、毎日暑いですね。
久しぶりのブログ更新です。
7月は算定基礎届、労働保険年度更新と繁忙期であるのですが、今年はいろいろとイレギュラーな案件が目白押しで、このところ類を見ない忙しさです。
お陰でこの数か月ブログの更新もままなりません。
28日は土用の丑の日
この日が近づくと、顧問先の女将さんがウナギをご馳走してくださいます。
今年も川越の老舗「いちのや」さんへ。
事務所職員の分まで用意していただけていました。
いちのやさんは午前11時開店なのですが、11時15分にお店へ着くと既に満員。
駐車場は満車。
待合は人で溢れ、入りきれない人は店外でたくさんたむろしています。
そんな中、人をかき分けて店内へ入り、うな重のお弁当を無事受け取って戻りました。
暑い時はウナギに限ります。
職員ともどもお昼に美味しくいただきました。
50年 100年 150年
埼玉県
今年2021年で150周年だそうです。
残念なことにあまり知られていません。
まさか新型コロナウイルス感染症やオリンピックと被るとはだれも予想しなかったですね。
県西部はその昔、入間県であったということは知ってましたが、県庁が川越だったのは知りませんでした。
そして熊谷県を経て現在の埼玉県になったのですね。
埼玉県ホームページより
今年は我が所沢支部も発足50周年ということで、周年事業実施に向けてバタバタ動いています。
未だ新型コロナウイルスの行方が分からないので、開催へ向けたモチベーションを維持するのが思いのほか大変です。
役員改選期でもあるため、理事会やら支部会やら社労士会関係の寄合いが多くて。
支部長になってからは何をやるにも挨拶、挨拶。
基本的にはしっかり準備してしゃべる派なのですが、即興で話すことも慣れてきました。
といっても、日々話のネタを探しています。
6月は会合が支部・埼玉会を合わせて7回ありました。
全社連代議員にはならなかったので会長選挙には関われませんでしたが、大野実前会長が72票中51票を獲得して再当選を果たしました。
一度お話をしてことがありますが、対立候補だった帆士前福岡会会長も実力のある人格者で、投票をした皆さんは悩まれたかもしれません。
7月は労働保険年度更新、社会保険算定基礎届とビッグイベントが重なる最繁忙期ですが、埼玉会理事会が1回、支部例会・研修会・周年事業実行委員会が1回予定されています。
昨日も徹夜で今日はフラフラですが、まだまだ頑張らないとです。
そういえば、カップヌードルを世に送りだした日清食品創業者である安藤百福氏の生誕百年でもあるそうです。
今年はいろんなキリ番に当たる年だなあ。
浜の真砂は尽きるとも
いやあ、眠いですね。
今日も朝5時を過ぎてしまいました。
もう何度目の徹夜かは数えるのをやめました。
浜の真砂は尽きるとも 世に仕事の種は尽きまじ
いやいや
労働保険年度更新、社会保険算定基礎届と、これからが本番です。
頑張りましょう。ご同輩
読後「ハローサマー、グッドバイ」
この3週間ほどは、毎日のように午前3時、4時の帰宅が続きました。
このブログも27日ぶりの更新で、これまでの不更新期間最長記録を樹立。
4月、5月とここまで、ホントに厳しい毎日でした。
まだ山を越えたわけではないのですが、ずっと読みたいと思って積んであり、ずいぶんと時間をかけて読んできたものが、ようやく完読したので久しぶりに書評を書いてみたくなりました。
SF好きなら誰でも知っている名作
マイクル・コーニィの「ハローサマー、グッドバイ」です。
マイクル・コーニィは恋愛SFを得意とするバーミンガム(英国)生まれの作家で、世界中に熱心なファンを持つ大作家です。
代表作はこの「ハローサマー、グッドバイ」のほか「パラークシの記憶」「ブロントメク!」など。
ブロントメク!では英国SF協会賞を受賞しています。
2005年没
本作は1975年に英国内で刊行され、日本では1980年にサンリオSF文庫(!)として刊行されています。
が、1987年にサンリオSF文庫が絶版となってからは入手困難となり、一時は古書価格が高騰していましたが、2008年に山岸真さんの新訳で河出書房新社から復刊。改めて読むことができるようになりました。
なお、サンリオSF文庫ではマイクル・コニイと表記されていました。
誤訳・誤植が多かったことで有名なサンリオSF文庫ですが、SF好きのなかでは伝説的な叢書です。
ちなみに、サンリオSF文庫版のハローサマー、グッドバイは、現在2,125円から14,524円の高値で取引されています。
さて、本書はSF史上屈指の青春恋愛小説であり、またラストの大どんでん返しでも知られる傑作です。
「これは恋愛小説であり、戦争小説であり、さらにもっとほかの多くのものでもある。」
巻頭の「作者より」最初の一文です。
まさに本作を表す言葉で、主人公アリカ=ドローブ少年とパラークシ=ブラウンアイズ少女の恋愛を軸に物語は進行します。
しかしそれだけではなく、主人公の目を通した異世界の奇妙な生態系が生き生きと描かれ、さらに2国間の戦争や少年から成年への成長、微妙な三角関係などたくさんの要素がちりばめられています。
これを中学生くらいのときに読んだのであれば、また違った感想を抱いたのかもしれませんが、大人として読むと背伸びしたがる自意識やただひたすらに愛する相手のことのみに没頭してしまう甘酸っぱい感情など、割と「そうだよなあ」なんて思いながら読みました。
中盤以降、一つの経験をきっかけにどんどん魅力を増すヒロインの姿が素晴らしく描かれており、それと同時に暗い影を落とす戦争や現実の重苦しさは終盤にかけてこの二人をどうしようもなく追い詰めていきます。
そしてラスト4ページで、それまで巧妙に張られた伏線を見事に回収してのどんでん返し。
引き裂かれ、苦悶にみちた二人が結ばれてハッピーエンドとなるようなことは直接表現されていませんが、不思議な読後感で読者は満たされます。
マイクル・コーニィは、小説を作るときにラスト(オチ)を考え、そこから遡ってプロットを詰めていく作法であるとインタヴューで答えています。
今回、時間が取れなくて少しずつ空いた時間に読み進めていた結果、最後の一文を読んだときに「ああ、あそことあそこ、これもすべてラストのカタルシスのために丁寧に書かれているわい」となりました。
でも
やっぱりこの小説は恋愛小説ですね。
マイクル・コーニィは本作を自伝的要素が強いと後に語っているそうです。
また、他作品でも実体験を小説に盛り込む人だったらしいですが、読み終えて最後の最後に改めて献辞を読み返すと「そして、パラークシ=ブラウンアイズであり、そのことを知らない、ダフネに」と奥方への最大級の愛がありました。
個人的にはこの献辞こそが本作の最大の魅力であり、著者と一体となって「傑作」を味わうものと思いました。
世界中から本作の続編を待ち望む声が集まり、1990年台に「 I Remember Palahaxi(パラークシの記憶)」を執筆しますが、出版はされず、2005年に自身のWebサイトで発表。同年に死去された後、2007年追悼出版されています。
このパラークシの記憶もハローサマー、グッドバイに並び立つ傑作とされていますので、そのうち読んでみようと画策しています。
ワクチン接種2回目
前回お話を聞いたS氏が2回目のワクチン接種を受けたと聞いたので、体調などお聞きしました。
○2回目の接種はいつ受けられましたか?
S氏「5月17日です。」
○1回目と違ったところはありましたか?
S氏「問診から接種までの流れは同じです。ただ、今回は接種後に「接種証明」とアセトアミノフェン系の「沈痛解熱剤(カロナール500㎎)」をもらいました。
やはり2回目の方が副反応が強く出るというのは本当らしいと思った瞬間でした。
解熱剤について調べてみました。
下のリンクは山中伸弥教授のサイトでワクチン接種後の解熱鎮痛剤について書かれています。
○昨日の接種直後はどんな感じでしたか?
S氏「午後に受けましたが、1回目と同様アナフィラキシーショックもなく通常通り仕事をして帰宅しました。」
○1回目のときは翌朝から副反応が出ましたね。今回はいかがでしたか?
S氏「やはり起床時からだるさがありました。1回目と同じくらいでした。」
○ほかの症状は?
S氏「体温を計ってみたのですが、朝9時の時点で37.9度でした。1回目のときは全く熱が出なかったので、やはり強めに副反応が出ているようです。」
○その後はどうされましたか?
S氏「1回目のときは一日中外出での仕事だったのですごくキツかったことから学び、今回は1日内勤をしていました。
時間の経過とともにだんだんとダルさや全身の筋肉痛、関節痛が強まってきました。夜になって体が熱くなってきたので体温を測ると38.3度ありました。」
○解熱剤は服用されましたか?
S氏「いえ、薬はどうしても動かなければならない場合の最終手段として取っておいています。かなりつらいですが、明日以降出て歩かなければならないのでその時に飲むかもしれません。
幸い頭痛はないので何とか動いていますね。
知人のT氏が昨日1回目の接種を受けたと聞いたので今朝の様子を聞いてみましたが、彼は接種箇所が少し痛むだけで副反応は起きていないようでした。うらやましいです。」
○高齢者は比較的副反応が生じにくいと言われていますね。
S氏「別の知人の母親が、1回目の接種を受けたようです。聞いてみたところ、やはり接種箇所が少し痛むくらいで全く副反応がないと言っていました。82歳の方だそうです。こうして考えると、自分はかなり運が悪いというか、今回のワクチンへの適性が過敏のようです。」
○1回目の様子と考えあわせると明日が山ですね。
S氏「そうですね。いま再度体温を計ってみたら38.0度ありました。体中がガタガタいっています。 けっこうキツイです。
1回目のときは「ワクチン接種したと勘違いして実は新型コロナウイルスに感染してしまったのではないか」と思ったりしましたよ。」
○調子が良くないところありがとうございました。
S氏「1回目のときは2日目、3日目が辛くて、4日目以降はケロッとしてましたからひたすら我慢です。
こう言った情報が何かの参考になれば幸いです。」
S氏の具合はやはり2回目の方が少し重いようです。
どういって個人差で副反応の現れ方が異なるのか、とても不思議です。
いずれにしろ完璧はものというものはないのでしょう。
先に引用した山中教授のサイト 山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 ですが、その中に興味深い文章がありましたので転載させていただきます。
「私は、科学的な真実は、「神のみぞ知る」、と考えています。新型コロナウイルスだけでなく、科学一般について、真理(真実)に到達することはまずありません。
私たち科学者は真理(真実)に迫ろうと生涯をかけて努力していますが、いくら頑張っても近づくことが精一杯です。真理(真実)と思ったことが、後で間違いであったことに気づくことを繰り返しています。」
科学者ってこういう人たちなのですね。
真実とか、永遠とか、真理とか、正義とか
そういった概念は文系の世界では到達可能なものであり、それをどう捉え、遍くどう導くのかといった思考をします。
自分は全くの文系人間ですが、真理探究の徒であると思っていた科学者がこういった思想であるということがとても新鮮です。
話題のワクチン接種
新型コロナウイルス第4波ですが、留まるところを知らず蔓延の一途です。
スペイン風邪のとき(1918年8月~1920年1月にパンデミックとなったA型インフルエンザウイルス)もそうでしたが、こういうことは感染者の増減を繰り返しながら進んでいき、制圧するまでには数年かかるのでしょう。
という中でやっと日本でもワクチン接種が始まりだしました。
いま使われているのは米ファイザー製のmRNAワクチン。
2番目に製造販売申請をしていたアストラゼネカが重篤な副反応を理由に審査中止となり、どうやら米モデルナ製のワクチンが2番目の承認となりそうです。
霞が関で1日1万人規模の大規模接種をするといわれていますが、そこではモデルナのものが使われるようです。
ファイザー製とモデルナ製では管理温度や2回目に接種するまでの期間(ファイザー製は3週間、モデルナ製は4週間)が違うので、使用ワクチンを会場ごとに分けるのは良いアイデアであると思います。
実際米国では1回目と2回目で摂取するワクチンを取り違えたり、正しい期間を開けずに接種した事故も起こっているので、日本では遅れている分前例の轍を踏むことなくやっていって欲しいです。
さて、最近ワクチン接種を受けた人からお話をお聞きしました。
何と言っても話題の中心は「副反応」です。
○いつ頃接種を受けられましたか?
S氏「4月26日の月曜日です」
○どんな手続きがありましたか?
S氏「集団接種ではありませんでした。指定された時間に診療所へ行き、A4用紙1枚の問診票に当日の体調や服薬の有無、過去のアレルギーなどについて回答をした後に医師により聴診や問診がありました。」
○接種の様子はいかがでしたか?
S氏「よく映像で出ていた6回打てる注射器
ただ打つときに利き腕を確認され反対の腕に打ちましたが、後になってその意味が良くわかりました。」
○接種当日の副反応はいかがでしたか?
S氏「接種を受けたのは午後3時過ぎでした。院内で30分間待機してアナフィラキシーが起きないかどうか様子を見た後、普通に帰って仕事をしました。前日帰宅したのが午前4時過ぎだったので眠かったのですが、いろいろとやることが多くてその日の帰宅も午前1時過ぎでした。
この日は接種2時間後くらいから注射を打った部分に鈍痛があったくらいであとは支障もなく、自分は副反応が全くでない人なんだと思っていました。」
○翌日起床したときはどうでしたか?
S氏「3時間ほどの睡眠で起床したのですが、その時から全身に軽い倦怠感と関節痛、筋肉痛のようなものがありました。風邪をひいて高熱が出たときのあの感じですね。念のため体温を計ってみましたが、36.5度で平熱でした。」
○翌日はどのように過ごされましたか?
S氏「翌日は一日仕事でした。朝から車で出かけて戻ったのは夜8時ごろです」
○2日目の体調はいかがでしたか?
S氏「起きたときからダルイ感じでしたが、倦怠感は時間の経過とともに強くなっていきました。注射した左肩の痛みも強くなり、夜には水平以上に腕を上げるとかなり強い痛みがありました。
午後には悪寒がしてきて、良い天気の一日でしたが窓を閉めてエアコンもかけずに走っていました。」
○かなりひどい様子ですね。
S氏「接種後にもらったリーフレットにもありましたし、医師からも副反応については説明がありました。でも、軽く考えていました。
実際良く帰ってきたなと思います。自分の場合は頭痛が無かったのは大きいですが、どんどんひどくなる全身の関節痛というか筋肉痛というかあの感じには参りました。悪寒もどんどんひどくなるし。
水をたくさん飲むといいと言われて、藁にもすがるつもりで慌てて水を買ってゴクゴク飲んだりもしました。」
○3日目はいかがでしたか?
S氏「2日目の夜は午前1時に帰宅して恐る恐る寝たのですが、朝起きると不思議なことにだいぶ症状が軽くなっていました。悪寒は無くなりましたね。少し頭が重い感じはありました。」
○それは良かったですね。数日は副反応が残ると言われていますが。
S氏「そうですね。おかげで3日目も仕事ができました。
ですが、やっぱり本調子ではなくて、小走りすれば簡単に息が上がるし、倦怠感も残っていました。」
○4日目になりました。今日の体調はいかがですか?
S氏「今日はほぼ復調しています。眠いのはワクチンのせいではなく、単なる寝不足のせいですね。昨日は午前2時30分に帰宅したのですけど普通に起きられました。」
○ファイザー製のワクチンは3週間後に2回目の接種が必要とのことですが。
S氏「そうですね。既に日時が予約されています。巷のうわさでは2回目の方が副反応がキツイと聞いてますので少し不安です。もしかしたら翌日は動けなくなるかもしれませんね。いまからそのあたりの仕事についてリスケをしておこうかと思っています。」
○貴重な体験談をありがとうございました。
S氏「こちらこそ。何かのお役に立てれば何よりです。ワクチンで重症化することが防げるのであれば医療への負担を軽減できます。副反応は確実のあると思っていただいた方がいいですが、情けは人の為ならず、機会が来たらしっかりと受けていただきたいと思います。」
副反応、なかなかに手強そうです。
説明をしてくださった医師は「ワクチンを打つと体の中で免疫を作ろうとしていろいろな反応が起きるので歓迎したくない症状が出てしまうのは仕方がない、良く聞いている証拠だから心配ない」とおっしゃっていたそうです。
また、「そうした副反応その他もしかしたら健康被害が出る可能性もあるが、新型コロナウイルスに無防備で感染することのリスクと比べればずっと低いリスクだ」ということも言われたそうです。
調べてみると、副反応の発生率は相当程度高いもののようです。
S氏の場合は「接種場所の痛み」「疲労感」「筋肉痛」「悪寒」「関節痛」まで生じているので、4人に一人はこのような症状が生じると考えたほうが良さそうです。
今のところ医療従事者と高齢者の一部に接種が行われています。
高齢者の方はこんな副反応が出て大丈夫なのかなと心配です。
また、1回目より2回目の接種のときの方が副反応が強いということも事実のようで、米国のサンプルではありますが、下記のような調査結果も発表されています。
「悪寒」「筋肉の痛み」「解熱剤の使用」の伸びが大きいのが不気味です。
もっともワクチンを打っても新型コロナウイルスに感染しないということはなく、「感染したときに重症化しないで済む」ものなのだそうで、感染防止の習慣は継続しなければなりません。
とはいえS氏も言うように、重症化患者が減ることは医療機関への負担を相当程度減らすことになるので、積極的に受けるようにしましょう。
いまのところ新型コロナウイルスについてはどの程度までワクチン接種が完了すると集団免疫効果が生ずるのかはわかっていません。変異株への有効性も検証されていないので仕方ないことです。
ですが、とにかく全国民が接種を終えて次のステージに備えればよいので、国も国民も頑張りましょう。
支部長もいいけれど
そう。
徹夜パンダです。
最近はだいぶ日が長くなってきましたね。
朝も4時を過ぎると大分空が白々としてきます。
今年の4月は例年よりも雇調金や給与計算が増えたせいか、既に半徹状態です。
支部長となったことで決定的に今までと異なるのは「自分が主体的に支部を回さないと何も起こらない」ということですね。
今年は頼りになる人、信頼できる人に多く役員を引き受けていただけました。
既に目を見張る成果を上げられています。
そうした意味では幸せですが、それもやっぱり「支部長がどうするのか」を示し続ける必要があります。
性根がめんどくさがり屋なので早くも後悔してますが、体を壊すことなくサスティナブルに頑張ろうと思います。
埼玉県社会保険労務士会所沢支部 第13代支部長に就任いたしました
本日埼玉県社会保険労務士会所沢支部の令和3年度通常総会が開催され、第13代支部長に就任いたしました。
社労士法制定は昭和43年12月2日ですが、所沢支部が発足したのは昭和46年11月1日。
支部発足50周年の節目の年での就任です。
ガラではないのですが、そんな年回りに支部長になるのも何かの巡り会わせなのでしょう。
弊事務所は昭和44年11月に先代所長が開所しており、既に52年目に入っています。
自分の事務所が創立50年となったときには何もしなかったなあ、と少し遠い目になります。
支部通常総会は時節柄、最小限度の出席とZoomでの同時配信という形をとって行われ、祝賀懇親会も中止されています。
特に問題もなく粛々と議事が進められ、無事に事業報告・決算報告、事業計画・予算案、新役員・埼玉会代議員と全ての議案が承認されました。
仮にワクチン接種が終わっても、今後はこの形がスタンダードになるのかもしれません。準備結構大変ですけどね。
そんなこんなで新支部長就任あいさつもプログラム上省かれましたので、支部会員の皆さんにはきちんとした挨拶もできていないのですが、そのうちおいおいする機会もあるでしょう。
新役員の皆さん、2年間よろしくお願いします。
(2名 所要により欠席)
これまでの偉大な先人に恥じないよう、力を尽くしていきたいと思います。