JOKER
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
JOKER観てきました。
事前にダークナイトを観て、史上最高と言われたヒース・レジャーのJOKERがしっかりと、楔のように心に食い込んだ状態で観たホアキン・フェニックス版JOKER。
美しく、もの悲しく、そして重い122分でした。
第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門で金獅子賞を受賞し、既に全世界で今年最大の作品として注目されていて、アカデミー賞も確実と言われています。
そんな前評判にたがわず、素晴らしい作品でした。
まず、映像が美しい。
これ、R15+指定なので、暴力的な表現(結構エグイ)がありますし、暴動もあります。アーサーはずっとタバコをふかし続けています。病的に(あの吸い方、精神に何らかの変調をおこした人の吸い方なんです。このあたり一つとっても、ホアキンの演技が半端ない!)
スタンダップコメディアンを目指すアーサー・フレックという一人の男が、理不尽でどうしょうもない現実の中で史上最悪のヴィラン「JOKER」へ変貌していくなかで、心の揺れや葛藤、怒りや諦観を、光と闇のコントラストの中で写し取っています。
ホアキンはジョーカーを演じるために24㎏もの減量を行って、あの体を作ったということです。
その本気度が演技に真っすぐに表れています。
上半身裸のシーンが結構あるのですが、肩甲骨当たりとかが気持ち悪い感じに作り上げられています。
なのに、深刻なトラウマを負っているとはいえ普通の男であるアーサーが、ジョーカーへと変貌していく過程で踊るダンスが美しいんですね。
限りなく孤独で、世間に全く認識されていない、誰からも相手にされない、果ては自分が存在しているのかどうかすら確信ができない状態に苦しんでいて、いつか世間に認めてもらえるコメディアンになりたいと、それを願っていただけの男だったはずなんですが、地下鉄で絡まれたエリート社員3人を射殺したことで連日報道されるようになることで変わっていきます。
テレビ局に向かうジョーカーが階段で踊るシーンは、アーサーがジョーカーへと変わっていく最終段階を終えた、いっそ清々しいまでの心の煌めきが観るものに伝わってきます。
この階段、すでにNYではジョーカーの階段(Joker Stairs)として名所になっていて、観光客が訪れては写真を撮りまくっているということです(1150 W 167th St, The Bronx, NY 10452, USA)。あまり治安のよい場所ではないので自己責任で。
この作品中、アーサーが自分の父親と思いこんだ(いや、本当の父親なのかもしれない)トーマス・ウエインに「一度でいいからハグしてもらいたかった。自分のことを認めてもらいたかった」と心の中の願いを、求めてやまなかった願いをぶつけるシーンがあります。
アーサーの本当の願いはそこだったのではないかと思います。
トーマス・ウエインには「お前は養子だ。自分の子供ではない。」と言われてしまうのですが、自分の父親に認めてもらえること、ただ一言「息子よ」と言ってもらえることが自分のアイデンティティを確認できる唯一のことだったのではないかと。
愛情に恵まれず、どこまでも孤独で、それゆえに破滅へ向かって落ちていくものの叫びは、「ボヘミアン・ラプソディ」の中でフレディ・マーキュリーが、「ロケットマン」の中ではエルトンが同じように激しく求め、そして絶望しています。
JOKERは全くジャンルの異なる作品ですが、稀代のヴィランが誕生する真の原因として認められない苦しみ、求めても消して得られない愛情への渇望を描いているところに、現代社会への警告と観る人への共感があるように感じます。
とはいえ、この作品、どこまでがアーサーの妄想で、どこからが現実なのかが良くわかりません。そもそもアーサーが「あのジョーカー」なのか、それどころか全てが入院中のアーサーの妄想だったのではないか。
そういう見方をさせてくれる作品でもあります。
あのエンディングは唐突すぎますからね。
特に、エンディングの最後の最後に、血糊と思わせるべっとりとした足跡を真っ白な病院内の廊下に残しながら踊るように逃げていくジョーカーが病院職員に見つかり追いかけっこを始めます。
典型的なコメディの「型」をここでブッコんでくる意図がなんなのか、それまでの重苦しさに圧倒されてきた者としては「へ?」となります。
しかもそのあとのスタッフロールで流れるのがフランク・シナトラですから。
トッド・フィリップス監督は、かなり先のことになりますが、何らかの形でこの映画の謎をすべて明らかにしてくれると言っています。
それはそれでいいと思います。そういう楽しみ方もありますから。
僕としてはこの作品を観て、映画解説者や映画愛好家の人たちが言っている解釈の一つで「全てアーカム州立病院に収監されているジョーカーが妄想(ジョーク)だった」というオチで済まさられるとは受け止められませんでした。
僕は、この作品を観ていて、その重苦しさにずっと鳥肌が立っていました。
ジョーカーへと変貌するしかないアーサーの人生に涙している人もいました。
僕としては、
「貧しく、何ひとつ良いことのない人生を過ごしてきて、でも人を笑わせたいと願う男いました。
そんな男が、裏切られ、踏みにじられ、存在を否定される出来事を浴び続けるなかで自分の存在意義を失い、それまでの自分では到底行い得ない行動である殺人をすることで世の中に認められ、自己肯定され、暴動の炎の中で自分の血で自分の口角を上げ、耳まで裂けた道化師の口を書きあげるのでした。
このときアーサーはジョーカーとして覚醒したのです。」
これが、最低最悪のヴィラン、ジョーカーの誕生であると思いたいです。
こんなやりきれない思いが無ければ、あんなヴィランが生まれるはずがないと思いたいです。
ネットでは諸説入り乱れて、とても多くの人たちがたくさんの「解釈」を発信しています。
映画は観た一人一人のもの。
解釈や受け止め方は100人100様で良いでしょう。
この作品のもう一つの魅力として、全編に流れる音楽の素晴らしさがあります。
チェロが重層的に織りなす、重苦しく、時に観る者の心に爪を立てる様な響き。
あの曲には90人ものオーケストラが参加して演奏されているそうです。
一見素直なようで複雑なアーサーの多面性をよく表していると思います。
また劇中に使われた往年の名曲たち。
アーサーの心の変化が伝わります。
アーサーがスタンダップコメディアンとして初めて劇場に立つシーンでは、ジミー・デュランテの Smile が流れます。
脳に負った障害の関係で「何が面白いのか」が理解できないアーサーが、この曲をバックにネタを演じ、「笑って欲しい」と訴えるのは残酷な感じもします。
また、感情の高ぶりで発作的に笑いが止まらなくなるアーサーにとって「自分が笑うこと」は辛いことしかないと思うのですが、この曲の最後に「人生にはまだ価値があると思えるだろう。もし君が笑っていればね」という歌詞が繰り返されるのは、この曲のもつ温かさの分、やるせなさがグッときます。
この作品の中でも最も印象的なシーンで、恐らく映画史に残るであろうを思うのが、元同僚のランドルを「自発的な意思で」殺し、あのジョーカーのメイクと衣装でさっそうと出かけ、階段で踊るところ。
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics
ゲイリー・グリッターの Rock'n'Roll PartⅡ に乗せて踏むステップは力強く、自信に満ち溢れています。
この階段、繰り返し出てきますが、家に帰るためにこの階段を上るシーンはいかにも疲れはてた様子で足を引きずるように上がっていきます。ですが、踊りながら降りてくるこのシーンでは全く身のこなしが変わっているのが象徴的です。
なお、ゲイリー・グリッターも同じくらい、いろいろとやばい人なんで、そのへんのところも選曲の理由なのかな、なんて思ってしまいます。
暴動に燃える街をパトカーに乗せられて連行されていくシーンでは White Roomが。
暴動に燃える街を楽し気に眺めるアーサーが印象的で、そこには貧困や不条理にあえぎ、つぶされ続けてきた彼は、もうそこはいない。このシーンで流れるクリームのWhite Roomがめちゃくちゃにカッコいい。
ただ、エンディングでジョーカー(これは間違いなくジョーカー)がカウンセラーらしき女性と話しているのですけど、この部屋が「真っ白」なんですよね。
この曲が前振りだとすると、やはり全てジョーカーの「ジョーク」だったのかと、うーん、解らないですね。
個人的に白眉と思うのは、フランク・シナトラの That's Life から Send In The Clowns へと続くエンディング。
こんなに重くて悲しい、でも凶悪なテロリストの誕生を描いてきたのに、シナトラを聞いていると、やはり美しく、なるべくしてなった一人の男の人生が余韻となって胸を打ちます。
今年公開された映画では、ロケットマン で タロン・エジャトン がすごくイイ演技をしていました。
また、作品自体も本当に良くて、見に来てよかったベスト5に確実に入ります。
今年のオスカーはこの2作の一騎打ちになるのではないかと思います。
エジャトン、ディカプリオ製作の「フッド・ザ・ビギニング」で主演し頑張ってます。
今年JOKERさえ上映されてなければオスカーだと思ってんですけどね。
ホアキン・フェニックスすごすぎます。
同窓会
9月のことですが、〇十年ぶりに開催された小学校の同窓会に行ってきました。
地元の公立小学校第3期卒業生だったわけですが、これまで1度も行われていなかったということで、一人が立ち、卒業アルバムから1軒1軒歩いて案内をポスティングするという苦労の末、先生を含めて61人も集まって大宴会になりました。
結局、直接は僕のところに連絡は届かず、幹事と付き合いが続いているという同窓生経由で知ることとなったのが2か月前でした。
この間、楽しみのような、不安のような。
悪いけど、会うまではきれいさっぱり忘れてましたよ(@_@;)
でも、会った少し話せば小学6年生のあの頃に戻ってしまうものですね。
校歌もなぜか歌えました。
皆が当時のあだ名で話しているし、そのあだ名も顔を見れば何事もなく思い出す。
不思議なものです。
流石に年を取ってましたが、上場会社の部長とか、某局のプロデューサー、東京都の課長や会社社長になっている人もいました。
みんな偉くなってました。頑張っているなあ。
申し訳ないけど、女性は半分くらい分からなかった・・・
男友達はかなり面影残っているんだけどね。
担任の先生方もお元気で、定年は過ぎても思い思いにいろんなことをやっていらっしゃいました。嬉しかったのは、どの先生も定年まで教員を続けてくださったということでした。
今回、校長先生が93歳で未だご健勝ということを受け、「ここでやらねば」というのが開催の原動力だったと聞きました。当日は体調を崩されてご欠席されたのが残念です。
12時から所沢パークホテルで開始し、15時からは二次会。
20時に二次会がお開きになったのですが、かなりの人数が三次会突入し、入りきれずにあぶれた5人で23時近くまで飲んでました。
次の同窓会は、60歳になったときと決まりました。
還暦の友人達がどうなっているのか楽しみです。
道満・彩湖グリーンパーク水没
昨日関東を直撃した台風19号。
各地に甚大な被害をもたらしたようです。
被災された皆様には、一日も早く以前の日常が戻りますようにお祈り申し上げます。
幸いにも、弊事務所は損害なく、無事に今日を迎えることができました。
昨日18時ごろまで事務所で仕事をして、帰るときには結構な降雨と強風でしたし、狭山を流れる入間川と不老川の氾濫したとの情報もあり、少し心配してました。
帰り道は土曜日の18時とは思えないほど人がいない。
車も走ってない、郵便局も閉まってると台風の影響の大きさを実感しました。
で
先ほど支部正副支部長メーリスで知ったのですが、今週19日に開催予定の支部対抗ソフトボール大会が早々中止になったと。
え( ゚Д゚)
諦め早くないですか?
と思ってググってみたら、会場となっている道満・彩湖グリーンパークが水没したようです。
道満・彩湖グリーンパークは、人工湖である彩湖の東岸に、約66haもの広さを持つ公園として計画され、現在約38haが供用されているとても広い公園です。
公園内には、陸上競技場・サッカー場、野球場が4面、ソフトボール場が7面、テニスコートが9面、サイクリングロードなどの体育施設で、とても充実して、他には、のびのび広場、鑑賞池、道満ドッグラン、中央広場、遊戯広場、バーベキュー広場、ピクニック広場、すくすく農園などもあり、ここ数年埼玉県社会保険労務士会のソフトボール大会では会場として利用させていただいています。
彩湖は、実は飲み水として使用される荒川調整池ですが、荒川がすごいことになっていたので、公園は水没したのですね。
ここ数年、毎年天候不良にやられてソフトボール大会は開催されていません。
我が所沢支部は、最後に開催された大会で優勝し、中止となった期間ずっと優勝トロフィーを守り続けています。
こうなると、無敵と言っても良いのでは(*_*)
Abbey Road
アビイ・ロードの発売50周年を記念して、未発表音源を含む記念盤「アビイ・ロード【50周年記念3LPエディション】」が9月27日に世界で同時発売されています。
https://www.amazon.co.jp/アビイ・ロード【50周年記念スーパー・デラックス・エディション】-完全生産限定盤
今回、レコード盤もリリースされているんですね。
で、10月4日のUKアルバムチャートで1位になったそうです。
新聞その他で既にあちこち載ってますね。
同作が英国で1位を獲得するのは、1970年1月31日付のチャート以来49年と252日ぶり、18週目となったとのこと。
1969年の発売直後に計17週にわたって1位に輝いて以来といいますが、こういうときでも1位獲得週数は通算するんですね。
そして、これは同チャートにおいて「同一アーティストかつ同名アルバムの首位返り咲き」の最長記録であり、それまでの最長記録であった、同じくビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の49年125日を塗り替えるものになったそうです。
Abbey Roadは、間違いなく名盤です。
僕がいまさら言うのも場違いなくらい。
まあ、The Beatlesの場合、名盤ばっかりですけども。
ビートルズはリアルタイムでは聞いていないのですけど、「世代」ですね。
Come Together から始まり、 Something につながるA面もいいのですが、B面が素晴らしくイイです。
(ストリーミングの時代にA面・B面というのが実に愉快)
Golden Slumber ~ Carry That Weight ~ The End のメドレーはめちゃめちゃカッコいいです。
なお、仕事の方はやるそばから増えていってしまい、Help! という感じです( ;∀;)
THE DARK NIGHT
THE DARK NIGHT
観ましたか?
2008年の映画ですから、「え、いまさら?」と言われそうです。
そのとおりで、今になって見ました。
それもAmazonプライムで(*^_^*)
10月4日から「JOKER」が公開されるということで、テレビでも放映されていたようですね。
吹き替え版ではなく、字幕で観たかったのでAmazonさんに頼りました。
観たいときに観られるので、良い時代になったものです。
「JOKER」はヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したということで、とても前評判が高い映画で、日本での公開が多くの映画ファンから待ち望まれています。
かくいう自分も、これは是非とも観に行きたいと思っていて、事前学習としてTHE DARK NIGHTを観たというところです。
映画自体も面白くて、ヒーロー映画の金字塔とか2000年代を代表するパート2とか言われているようですが、これは確かに傑作です。
映画自体も良くできているのですが、何と言ってもヒース・レジャーのジョーカーがスゴスギル(´▽`*)
圧倒的な存在感、とんでもないリアリティ。
このジョーカーがいてバットマンが成り立つと、そう思いながら観てました。
クランクアップの後に薬物併用摂取による急性薬物中毒により28歳の若さで急逝し、死後にアカデミー助演男優賞を受賞したというのは有名な話ですが、この演技(演技と言ってしまっていいのか?)なら取って当たり前と頷けます。
ジョーカーに入り込みすぎて眠ることができなくなり、大量の睡眠薬に頼るようになってしまった結果亡くなったという説を聞いても、「そうなってしまうかも」なんて思ってしまいます。
笑い方とか目つき、猫背の立ち方や歩き方、くちゃくちゃ話す姿。
どれをとってもジョーカーなんです。
病院を爆破する場面なんて、ジョーカーってそうだよ!という激しい共感。
ジョーカーといえばジャック・ニコルソンだとイメージしてましたが、全く異なる、けどどちらもジョーカーで、「狂気」を見事に演じています。
さて、ホアキン・フェニックスのジョーカーはどうなんでしょうか。
トッド・フィリップス監督の演出も期待大です。
労働相談・個別労働紛争解決制度関係機関連絡協議会
今日は、埼玉労働局で行われた「労働相談・個別労働紛争解決制度関係機関連絡協議会」に出席してきました。
いま、埼玉会で社労士会労働紛争解決センター埼玉副センター長と総合労働相談所・年金相談センター運営委員会委員長を担当していることから、「行ってこい」との命を受けての参加です。
この役職について、初めて出席できたわけですが、結論的には大変勉強になりました。
この連絡協議会は、3構成で成り立っています。
1 協議会構成員
・埼玉県産業労働部雇用労働課
・埼玉県労働委員会事務局
2 埼玉労働局
・雇用環境・均等室
3 関係機関
・埼玉弁護士会
・日本司支援センター埼玉地方事務所(法テラス埼玉)
・埼玉県社会保険労務士会
・埼玉司法書士会
・日本労働組合総連合会 埼玉県連合会(連合埼玉)
ADR機関ってこんなにあったんだなと知りました。
我が社労士会では、総合労働相談所とADRセンターが連動して、ワンストップサービスを目指しています。
でも、他は必ずしもそうではなく、それもあって連携(お互いに特徴を把握して、打ち切り等々になったときに他の機関を紹介する)して問題解決支援をしていきましょう、というのが趣旨の会議でした。
司会を務められた埼玉労働局の労働紛争調整官が旧知の方で、以前所沢労基署では大変お世話になりまして、久しぶりにお会いできてうれしかったです。
会議後に、今ADRセンターの方向性について悩んでいる「法律違反が見受けられる事案への対処 → あっせん事案としてよいのか」について、立ち話ですがお話を伺ってきました。
進む方向について少し確信が得られたのも、大きな収穫でした。
今度悩んだら、雇用環境均等室へ訪ねていこうと、そんなことも思いながら事務所へ戻りました。
傷病手当金・出産手当金が重なりまして
このところ、切迫流産の恐れ等により出産予定日の6週間より前から休業される方がいらっしゃいます。
自分の母親の世代は「私たちは産休なんてほとんど取れず、出産の直前まで働いて、産後も子供をおぶって会社へ行ったわ」なんていってましたが、時代は令和です。
出産・育児支援です。
しっかりサポートしなければ。
というわけで、傷病手当金を受給していた妊婦さんが予定日よりも早く出産されると、産前休暇期間が繰り上がります。
そうすると、出産手当金の対象期間と傷病手当金の対象期間が重複します。
これについて、平成28年4月に少し法律改正がありました。
出産手当金を支給する場合(第108条第3項又は第4項に該当するときを除く。)においては、その期間、傷病手当金は、支給しない。ただし、その受けることができる出産手当金の額(同条第2項ただし書の場合においては、同項ただし書に規定する報酬の額と同項ただし書の規定により算定される出産手当金の額との合算額)が、第99条第2項(傷病手当金の額)の規定により算定される額より少ないときは、その差額を支給する。
けっこうやること、ありますです。
でもこのあたりを丁寧にフォローするのが、専門家としての社労士の仕事ですよね。
そういえば、「世界労働専門家協会」というものが令和元年6月に発足したとか。
日本、イタリア、カナダ、スペイン、ポルトガル、韓国の6か国で創設するとか。
ハッキリは情報や進捗が分かっていないのですが、社会保険労務士の国際化(国際ライセンス化)を目指すとのこと。
欧米なんかでは、僕たちがやっているような手続きは弁護士(事務弁護士 Solicitor)がやっているんですよね。
(イギリス、アイルランド等では、法律専門職は法廷弁護士と事務弁護士とに分かれており、いずれか一つの資格しか持たないのが通常)
そのあたりと張り合ってやっていけるのか、労務管理に関する専門資格を持っている6か国で国際的な地位向上、業務拡大を図っていきたいということです。
僕も良くわかっていないのですが、これからは社会保険労務士もバイリンガル、トリリンガルが必須となるかもしれませんね(@_@;)
我が心より敬愛する埼玉会会長がこのあたりを担当されるらしいので、がんばっていただきたいです。
Rocket Man
Elton Johnといえば、「Your Song」と「Goodbye Yellow Brick Road」は知ってるよ。ああ、ダイアナ妃の葬儀でエルトンが「Candle in the Wind」を歌ってたね、くらいの興味しかなかったのですが。
「ロケットマン」いい作品でした。
大ヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」と同じく、天才ミュージシャンの半生を描いた(らしい)、挫折と孤独、再生を描いた作品で比較してあれこれ論評する向きも多いですね。監督も同じだし。
役者陣がすごく頑張っていて、ものすごくいい演技をしているという点では甲乙つけがたいと思います。
ボヘミアン・ラプソディでフレディを演じたラミ・マレックの完コピぶりは凄かったです。ステージ上のパフォーマンスもパーフェクトでしたが、ステージへのアプローチでの歩き方とか、まさにフレディ・マーキュリーでした。
対して、ロケットマンでエルトンを演じたタロン・エガートン(タロン・デヴィッド・エジャトン)・・ピアノも弾いて全曲口パクなしで自分で歌っているんですよね。これがすごく上手い。桁違いの歌唱力です(*^_^*)
SING/シングの中でもゴリラのジョニー役で「I'm Still Standing」を歌っているというのは後で知りました。
Taron Egerton - I'm Still Standing - YouTube
Your Song がこの世に生まれる場面が前半部のピークとして印象的に描かれています。
誰もが知ってる名曲です。
特に「How wonderful Life is while you're in the world」のところがいいです。シンプルでいて、でも本当に愛にあふれている歌詞で、この映画を観る前から好きな曲です。
「君がこの世界にいるだけで、人生はなんて素晴らしいんだ」なんて素敵じゃないですか。
こんなふうに思える人がいれば、一人でもいれば、辛いことなんて一つもないだろうなって思います。
作詞は、エルトンとともに数多くの名曲を書いているバーニー・トーピンですが、この人も天才。
この時からずっと作曲はエルトン、作詞はバーニーという完全分業で数多くの楽曲を製作してきたということでしたが、エルトンがゲイで、この詩を書いたバーニーのことを愛していて、彼のことを思いながら曲を、あんなに美しいメロディを書いたというところに打たれました。
実際、好きな人からあんな歌詞をもらったら、そりゃあ嬉しいですよね。
でも真実は・・・二人は生涯の親友なんだけど、バーニーにその気は全くなくて。
けして受け入れてはもらえない、絶対にかなわない思いなんです。
今でこそLGBTQが認められ、その人権を重んじるべきという世の中になりましたが、同性愛が禁じられていて、偏見も大きかった時代に誰にも受け入れられない孤独を抱えて落ちていくというのは相当に厳しいと改めて感じました。
ボヘミアン・ラプソディでもこのあたりは掘り下げて描かれています。
デクスター・フレッチャーに変わる前のブライアン・シンガーという監督もゲイだったということなので、理解や表現に特別なものがあったのかもしれません。
ロケットマンでは、エルトン自身も監修をしています。
なのでストーリーと曲とがマッチしているのが気持ちいいです。そして、その場面でその曲を使うということが、曲を作った人自身の意思として伝わります。
この映画はミュージカルですから突然登場人物が歌いだしたり、踊りだしたりしますが、この選曲が良くて、この映画を見て、その曲の真の意味が理解できたと、そんな気になりました。
その意味では、やっぱりこの映画は「Your Song」でも「Goodbye Yellow Brick Road」でも「Can You Feel the Love Tonight」でもなく、「Rocket Man」なんだろうなと思います。
この曲(ロケット・マン)では
I miss the earth so much, I miss my wife
It's lonely out in space on such a timeless flight
(地球がとても恋しい、彼女(妻)が恋しい。宇宙では孤独だ。こんな時間のない飛行の中では)
Rocket man, burning out his fuse up here alone
(ロケット・マンは、孤独の中で燃え尽きる)
And I think it’s gonna be a long long time
(燃え尽きるのは、ずっと、ずっと先のことだけど)
とどこまでも一人きりで、いつ地上にもどれるか分からない状態に、エルトンの底知れない孤独が重なります。
燃え尽きる・・・死ぬこともできない永遠の孤独
映画評論家の町山智浩さんがこのあたりを言ってます。
町山さんの批評もすごいと思いました。
(ロケット・マンは、バーニーがレイ・ブラッドベリの「刺青の男」(1951年)という短編集に収録されている「The Rocket Man」に触発されて詩を書いたといわれています。町山さんはロケット・マンのくだりで「ロケットから放り出されて、生命維持装置だけついた状態で宇宙空間に放り出されいてる状態です。」っておっしゃってますが、大破した宇宙船からさまざまな方向へと放りだされた乗員たちが宇宙服の通信装置を介してそれぞれの運命を伝えあうのは、同じく「刺青の男」に収録されている「万華鏡」という作品です。)
※ レイ・ブラッドベリは昔けっこう読んだんですよね。
SF読みとしては、ブラッドベリの話ができるのは嬉しい。
ロケット・マンは、数えきれない数の名曲を誇るエルトン・ジョンの楽曲の中でも5指に入る大好きな曲の一つです。
この曲"ロケット・マン"の発表のあと1973年にエルトンは自身のレコードレーベルを設立しますが、"ロケット・レコード"と名付けるほどですから、エルトンにとってもこの曲は特別なものだったと思います。
エルトン・ジョンの曲って、メロディが美しくて、聞きやすくて、声も良くて、歌詞が分からない日本人としては「いい曲だなあ」で終わってしまうのですが、今回の映画をきっかけに歌詞をよく読んでみると、バーニーさん、結構エグイことをエルトンに歌わせてるのですね。
先に作詞があって、そこに曲を付けていく手順らしいのですが、孤独や、飲酒や、ドラッグで精神的にも肉体的にも滅茶苦茶な状態なのに、あんな素晴らしい曲を生み出してしまうところに、天才は天才でしかないなぁと少しため息すら出ます。
大ヒット・ロングラン公開されたボヘミアン・ラプソディでは、家族ともいえるメンバーとグチャグチャになった後、救われ、分かり合うことができて、ライブエイドで復活するというフィナーレをラストシーンに持ってきていますから、そりゃ盛り上がるというものです(実際、史実とは違うらしいですが)。
対してロケットマンでは堕ちるところまで堕ちたエルトンが更生施設に入って自分を取り戻し、一時離れていたバーニーと再び友情を取り戻すところまでを本編では描いています。
その後にI'm Still Standing がかかるというのが素晴らしい。
まさに「まだ負けてない、終わっちゃいない」という叫びですよねヽ(^o^)丿
そこからのカムバックを象徴する演出ですが、劇中ではこの曲のMVがタロン・エガートン版で再現されています。
それまでのエルトンの生涯、カミングアウトするまでの孤独や、した後の混乱を考えるとスゴイMV(ディレクターのRussel Mulcahyによると、このMVは「ゲイ度100% (super, super, super gay)」なのだそうです・・・確かに) を撮ったもんだなと思います。事情が分からなくても、はっちゃけてて面白いですけど。
で、大盛り上がりした後、その後結婚し、ツアーからは引退して幸せにしているというところは描かれず、後日談ぽい感じで、ラストクレジットのところでサーっと流して終わります。
そこはそれで済ませていいのか、カタルシスに欠ける、表現が雑だという向きもあるようです。
ただ、45歳という若さで急逝したフレディと違い、エルトン・ジョンは、自分を理解してくれるパートナーと出会い、二人の子供と幸せに暮らしている、いわばハッピーエンドの人生を得られたわけで、「これでいいんじゃないの?」と僕としては思います。
劇中では前半部に、父母から全く愛情を受けられなかったエルトンの心の叫びとして I Want Love が歌われましたが、この曲、実は2001年のリリースです。
で、この曲のMVを製作するにあたり、エルトンは薬物依存でリハビリ施設の入っていたロバート・ダウニー・Jrに出演のオファーを出しているんです。ダウニー・Jrにとっては復帰初演技ですが、長回しですごくいい映像になってます。
こんなふうに、自分と同じ境遇で苦しんでいる人へ贈り物ができるくらい幸せになっているのは、見ているこちらもホンワカしてきます。
だから、やっぱり、この映画は「ミュージカル」で、エルトンが生涯の親友であるバーニーと絆を取り戻し、本当の自分として生きていくことができるようになったこの場面でラストというのがベストなんだと思います。
奇抜で、ド派手な衣装ということも含めて、やっぱりエルトン・ジョンという人は、稀代のエンターテイナーなんです。
まだ見てませんが、本作の前にエルトンとタロン・エガートンが共演している「キングスマン ゴールデン・サークル」では心底楽しそうに劇中の役(本人役!)を演じているそうです。
早く見ることを勧められていますが、まだ観ることがかなわずにいます。
遅ればせながら、エルトンのたくさんの名曲を聞き始めました。
ライオンキングで有名なこの曲「Can You Feel the Love Tonight」も良いよね。
どうしたらこんな曲「Sorry Seems To Be The Hardest Word」が書けるんだろう。
「Goodbye Yellow Brick Road」忘れてました。
ちょっと前まで「エルトン・ジョンとエリック・クラプトンが時々ごっちゃになる」なんて言ってた(冗談ですよ)人間とは思えない傾倒ぶりに、自分でも少し呆れています。
まあ、それだけエルトン・ジョンの楽曲が素晴らしいっていうことで許されたいです。
Yellow Brick Road
オズの魔法使い(The Wizard of Oz)といえば、だれもが知る名画です。
1939年に公開されたアメリカ映画で、ドロシー役のジュディ・ガーランドが歌う劇中歌「Over The Rainbow」はみんな一度は耳にしていると思います。
ドロシーは、虹の向こうにはきっと自分が理想としている場所があり、そこに行くことを夢見ています。
愛犬トトと竜巻で飛ばされた後、見知らぬ場所にいて途方にくれます。
この時「Toto, I've got a feeling we're not in Kansas anymore(トト、ここはカンザスじゃないみたいよ)」とドロシーが言うのですが、このセリフは映画史上もっとも有名なセリフの一つとなっています。
アメリカでは、状況が大きく変わってしまったことに遭遇した驚きや戸惑いを表現するときにこのセリフを使うのだそうです。
そしてシャボン玉に乗った「北の良い魔女」が現れ、「Follow the Yellow brick road(黄色のレンガ道をたどるように)」、そうすれば、エメラルド・シティにいるオズの魔法使いがカンザスに戻してくれるだろう、と教えてくれ、彼女は歩き出します。
有名なオズの魔法使いのストーリーで、考えのないカカシ、心がないブリキ、勇気のないライオンと出会い彼らに欠けているものを見つける手伝いをしながら旅をつづけ、その中でドロシー自身も自分に足りなかった大事なものを見つけて故郷に戻り、大団円となります。
黄金の道の果てにあるエメラルド・シティは、まさに夢の国なんですが、カカシ達との旅の果てに大きく成長したドロシーはカンザスに帰ることを選択し、そして退屈だと思っていたカンザスこそが、夢見ていた虹の彼方にある虹の橋が終わるところであったと気づくのです。
ちなみに、この時にドロシーがつぶやく「There's no place like home(お家が一番だわ)」というセリフも、Toto, I've got a feeling we're not in Kansas anymoreと同様にアメリカの人々から愛されている引用句となっています。
このお話は、いろいろと個性的は登場人物があらわれ、困難と立ち向かい、一歩一歩目的へ進んでいくストーリーだけで十分に楽しめます。
が、大人になってから観ると、人の成長とは自分自身と周囲を正しく認識する能力を身につけることなのだと分かります。
この映画がアメリカ国民に与えた文化的影響は大きいようで、前掲の2つの引用句のほかにも引用されているものがあります。
例えば、エメラルド・シティへ続く Yellow brick road もそうです。
エルトン・ジョンの不朽の名作 Goodby Yellow brick road では「富と名声に続く黄金の道」として引用されていて、この成功と名声の道に別れを告げようと歌っています。
スターダムに浮かれるエルトンに対して、長年作詞家として二人三脚で作品を作り続けてきたバーニー・トーピンが「最初のころに戻ってやり直そうよ」という自戒を込めて書いたものと言われています。
黄色いレンガ道と和訳されていた国の住民としては、こんな深い意味にはたどり着かないですよね。
エルトン・ジョンの楽曲はメロディがとにかく美しいのでそれで満足してしまいますし、そもそも黄色いレンガ道って日本人には馴染みがないですから。
ただ、当時、誰にも理解されない大きな孤独を抱えたエルトンにとっては、この黄金のレンガ道をただ進むしかなかったというもの真実の一端のようです。
色見えで
色見えで うつろふものは 世の中の 人の心は 花にぞありける
古今集 恋五・七九七
小野小町の和歌です。
以前ブログにあげた一首は、恋の渦中にある切ない思いを詠ったものでした。
この一首は、思う相手の心が、色-姿かたちには表れないが、うつろい、褪せていってしまうことを察することはできて、それを花にたとえて恋の儚さを詠ったものと僕は解釈しています。
これだけを単体でみると、必ずしも恋のことだけを詠ったものではなく、もっと根源的な人の心の移ろいを表したものとも思えますが、「恋五」に収録されていることからすれば、やはり恋を詠うものと考えてよいのでしょう。
思いつつ・・・はとてもチャーミングで魅力的な和歌ですが、ここに詠われている恋の虚しさ、侘しさは並べて読むとグッとくるものがあります。 tanaka-sr.hatenablog.jp
自分のその時の心の持ちようで、そのときそのときの受け止め方ができるのも、ストレートに詠む小野小町の和歌の魅力の一つです。
花の色は・・のように超絶技巧を詠みこんで、さらに読む人の心に迫る和歌もすごいですが、個人的には 色見えで や 思いつつ の二首にある素直な心を詠んだものが好きです。